「研究の話」紙尾康作 著 の 勉強ノート

こんにちは。森本英樹です。

先に投稿しましたが、紙尾氏は、技術コンサルティング会社の顧問として紹介されてました。その中にも記述がありますが、著書「研究の話」は、研究に携わる人の間では伝説の書となっており、翻訳もされ海外にも広がっているそうです。また著者がコラムで述べておられるように、「研究の話」は研究者個人のあるべき姿が主であり、コラムでは組織的なあるべき姿といった観点から記述されてます。コラムも素晴らしい内容で熟読したいと思います。

さて、「研究の話」は、現在は入手できない状況のようです。こうした名著はもっと広く社会に広がるべきと思っております。以下要約です。要約と言っても、わたしには、著者の素晴らしい過不足ない内容、名文を要約できるはずもなく、勉強ノートの公開という感じです。省略記号~を使った省略部分は、著者の具体的な研究事例の紹介の部分であり、内容の理解や応用や適用するには重要な部分です。復刻版が待たれます。

研究の話」 紙尾康作

1.はじめに

前略~研究者が若い時代にしっかりした研究の定石、あるいは研究の方法論を身につけることが、この上なく大切である。自分の経験を基に研究の方法について思いついたことを纏めてみた。

2.研究の構成

・研究の縦糸と横糸

研究は、方法論という縦糸と学問的知識という横糸で織られた織物である。横糸は学問的知識や研究の対象となる現象であるから、具体的であり目に見えやすいものである。縦糸の方は人間の思考作用に関連したものだけに、抽象的であり目に見ない糸である。研究の方法論という縦糸が重要である。

・研究の方法論の中身

方法論というものは、単なる自然現象の取り扱い方の方法に関する定石だけではなく、人間である研究者の思考力、観察力、直感力を身につける訓練の方法、さらには合理主義を信じて止まない強い精神力についての先人の範などを組んでいなければならない。

3.研究の計画

・研究テーマの選び方

一般に研究者はテーマの選定について、もっと真剣に考える必要がある。「価値のあるテーマ」、やりがいのあるテーマ、意義あるテーマを選ぶ。テーマ達成のためにあらゆる手段を考える。その過程で、自然に創造性豊かな研究者にそだってゆく。このようなテーマ設定があってこそ、研究は科学の進歩に結びつき、社会に貢献してゆく。

・価値あるテーマ

研究テーマのベクトル(方向、大きさ)をよく考えてテーマを設定することが必要である。方向は、科学の進歩の方向、工業技術の進歩の方向、社会的ニーズの方向、大きさは、研究成果が大きい程よい。

・テーマ選定の例

自身の経験上、成果を上げた研究、そうでなかった研究の分かれ目は、テーマの選択に依っていたように思われる。大学院時代、学会に先行して「錯体触媒」の新たな分野の開拓したのは、研究目標を価値あるものに設定した結果であろう。研究テーマとして、いわゆる価値の高いものを選ぶことは研究者にとって何にも増して重要である。

・研究を成功させる信念

研究を成功させる第1の必要条件は、研究のスタートに際して、研究完成まで研究を維持するための見通しと信念を持つことである。「研究は必ず成功するという確かな見通し」と「どうすれば研究が成功するかという細かい見通し」とは全く異質のものである。詳細な見通しは立てられないが、確かな見通しを立てることは可能である。「詳細に」に迷わされずに、単純で「確か」な帰結を見通して、研究の完成までその見通しを信じ通すことである。 

・確かな判断

物事の詳細を判断するのではなく、大筋を判断する。研究においては、実に多くの因子が存在しているが、その中で「確かな判断」のために必要な因子を「必須因子」と呼び、それ以外の因子、すなわち判断のためには考慮外に置くべき因子を「選択因子」と呼ぶことにする。

・必須因子と選択因子

必須因子とは、その因子が原理的なものであり、その因子が満たされなければ研究が致命的打撃を受ける因子のことである。選択因子の場合は、一つの手段でそれが満たされなくても、他にもいくつもの手段が考えられ、いずれかの手段によって必ず満たされる性質のものである。研究のスタートに際し、必須因子のみで判断するように努めれば、「単純」で「確実」で「信念のもてる」判断ができるはずであり、これが研究を必ず成功に導く最も大切な鍵である。

・研究テーマ判断の例

具体的事例の紹介(省略 著者の経験を具体的な事例で紹介されています)

~研究を進めるにしろ止めるにしろ、単純で確実な判断がいかに大切か、また、そのような判断は決して難しいものではない。要はただ一つの必須因子を信じて判断することである。

4.研究の布石

・研究布石のパターン

研究テーマが価値あるもので、しかもそれは達成可能なものであると判断できたとしたら、次に研究の布石を考えなければならない。布石段階で絶対に必要なことは、研究テーマを明確にしておくことと、次に研究ルートを正しく決定することである。~研究ルートは最もやさしいルートを発見しなければならない。それが合理的だからである。

・研究テーマの明確化

研究を進める時に、「今の時点より進歩すれば良い」という考えは捨てなければならない。研究テーマの理想的な完成状態を考え、どのようにしてそこに近づくかを考えなければならない。~

・研究ルートの選択

最も合理的なルートを見出すこと~研究目標ができるだけ単純なものに見えるまで研究テーマを分解し、その本質を実現する最も主要な原理を見出す以外に方法はない。研究テーマの本質は何なのか。これを考え続けることであり、観察し続けることである。やがて研究テーマの本質が単純なものに見え、それを支配する原理が見えてくる。それが最も正しいアタックルートなのである。

・研究ルート選択の例

具体的事例(省略 著者の経験を具体的に記述されています)

~今までバラバラの不可解な現象と思われていた多くの事象が一つの線上に自然のこととして理解されるに至った。真の原理とはこのようなものである。一方で、偽りの原理は中途半端な観察とこじつけから生まれてくるので、重々注意する必要がある。偽りの原理を信用したために研究が次第に混迷の中に紛れ込んだ例が多いのである。

5.研究の模索的前進

・研究推進のパターン

全く未知なジグザグの道であり、これは自分自身の足で模索を繰り返しながら進むより方法がない。

・模索的前進における手段の数

「原理的に可能な課題ついては、実験の数(トライヤルの数)さえ多くすれば必ず成功する」という信念を持つことができる。手段さえ多ければ、その一つ一つの成功の確率がきわめて低くとも決して諦めるべきではない。いま一つ大切なことは、手段の模索の場合は、できるだけ広範囲で模索を行うことである。手段は数多く、かつ多面的に選ばれていることが大切である。

・リストアップされた手段の評価処理

手段の数が多い方が望ましいが、一方では手段の数が多い程その評価処理が困難になる。数多くの手段を合理的、効果的に処理する方法を考えると三つのことが最も大切と考える。実験のスピード、評価の精度、手抜きの方法。

・実験のスピード

リストアップされた手段の処理については、その手段を処理できる装置、道具を考案することがまず大切である。これによって初めて必要な実験スピードも得られる。また多数の手段の評価を可能にし、模索的前進を可能にする。

・精度

誤差論は「どれ程ラフに測定しても良いか、いか程ラフに測定しなければならないか」という学問であることを忘れてはならない。研究者は必要以上に精度の良いデータを取ることを恥と思わねばならない。~研究の初期段階(模索的前進)の段階で精度の高い測定にこだわっていたとしたら、とても何千にも及ぶ製造方法や触媒を短期間に検討することは不可能であったはずであり、この研究は成功しなかったに違いないと思っている。

・手抜きの合理性

無駄な実験を行わず、できればその一手を省いて5回の実験を3回に減らして結論がでるように、巧妙に実験をやってこそ上手である。~またこのようにして初めて最も有効な触媒を出来るだけ少ない手段で選ぶことができる。

6.困難の打開

・アタックルートの変更

実際に研究や技術開発を進めてゆく場合にいろんな困難が出現する。~研究者のバトンタッチや、いったん選択したルートの変更も、勇気をもって行う必要がある。このような場合は、研究目標という山頂をもう一度ヘリコプターで偵察し直し、研究完成の必要条件をもう一度頭に入れ直して、ルートの変更を行うのである。逆にこのような態度で臨めば、やはり研究の完成は必ず可能である。困難に出会ったからといって信念を曲げる必要はない。

・合わせ技の効用

一つの手段で問題を解決しようとしても、なかなかうまく行かない場合がある。このようなとき、幾つかの手段を使って、その合わせ技で解決するとうまくゆくことが多い。

・課題の変換

例えば一つの化学反応処方がどうしても困難な場合~

いち早く課題を化学から電子、機械の問題に変換して、そのような反応でもうまくコントロールできる反応装置の考案、あるいは反応をうまくコントロールできる電子系の考案に切り替えることによって問題が解決することが多い。~問題を多角的に検討することが必要である。

・理想系を考える

一つの課題を解決するのにいくつもの手段が考えられる場合がある。~理想系を考えるセンスが困難な問題も、間違いのない解決に導いてくれる。

・もう一度観察

科学の基本は観察である。研究が行きづまったときには追試をしろという諺がある。先に気が付かなかった現象を深い観察によって新しい曲面を切り開いてくれる。深い観察は必ず問題を解決してくれる。

7.研究の完成と中止

・研究結果のチェック

研究の結果として一つの解が得られたとしても安心はできない。研究はちょうど高次方程式を解くようなもので、解は沢山あるのが一般的である。しかし、多くの解の中で最も合理的な正解は一つであって、他は間違った虚解である。~工業技術の開発においても、一つの製品を作るために開発した技術が本当に優れたものであれば、その技術は他のものを作るときにも応用できるし、またその技術はさらに新製品を考え出すことの示唆にもなるはずである。このようなものでなければ本当の正解とはいい難い。

・研究課程のチェック

研究のやり方が本当に立派だったかどうか、その判定基準は何なのか。それは、その研究の中にどれだけたくさんの合理性が含まれているかによると思う。~試験管一本を使った仕事であっても、合理性を豊富に含んでいれば、それは立派な研究である。合理性とはであろうか。一言で言えば理屈に合っているということである。~短時間で終わること、必要不可欠な実験だけで結論をだす、学問に沿って考える、計算できないもの、実験せざるを得ないものはそれに応じた方策を取るなどである。

・研究の中止

「研究の中止」という言葉は三つの意味を持っている。(A)研究の目的達成が不可能であると判断して研究を中止する。(B)研究の目的達成は可能であるが、周辺技術等の発達を待った方が良いので一次ファイルする(将来必ず取り出して再開する)。(C)意志薄弱や周囲の圧力で何となく研究を止める。(A)は一つの立派な判断であるばかりでなく、この判断は非常な勇断である。

8.研究の工業化

・研究の重点と技術の重点

中谷宇吉郎著「科学の方法」(岩波新書)「自然現象を解明する方法の一つが現在の自然科学と考えると、自然科学は決してオールマイティではない。現在の科学が比較的容易に火星へロケットを飛ばすことができる反面、例えば東京タワーの天辺から一枚のちり紙を落とした場合に、そのちり紙がどこに落ちるかを言い当てることは非常に困難なことである」。月ロケットの問題は現在の自然科学が得意とする問題であり、ちり紙の問題は苦手の問題である。

~一般に研究者は自然科学が得意とする現象については熱心に検討するが、自然科学が不得意とする現象を軽んじたり、避けて過ぎようとする傾向がある。しかし、研究成果を工業化する場合には、しばしば技術の重点というものが、不幸にして自然科学が不得意とする現象である場合が多い。したがって、よく技術の重点というものを見つけ出し、必要ならば入念な中間試験によって、その問題点を解決しておく必要がある。

・厳密スケールダウン

一般に中間試験というものは実験室規模の実験(基礎実験)のスケールアップと考えられがちであるが、この考え方は大変な過ちを含んでいる。基礎実験のスケールアップでは、中間プラントがうまく行っても、もう一段上の本プラントが本当に目的に合った性能、生産性、経済性をもったものになるかどうか、本プラントを作ってみるまで分かり難い点がある。スケールダウンでは、まず基礎実験のデータを基に思考的に本プラントを設計してみて、一応その性能、生産性、経済性などが研究本来の目的に合致していることを確かめた上で、その雛形を中間試験プラントとして実際に運転して確かめているのであるから、本プラントの合理性は保障されている。~中間試験は本プラントの厳密なスケールダウンでなければならない。しかも、それは厳密である程良い。特に、自然科学が不得意とする現象や問題については厳密スケールダウンで確かめ、不都合な点があれば修正して本プラントを作る必要がある。~中間試験は決して基礎実験のスケールアップであってはならない。必ず何かの見落としを生むことになる。

・トラブルの予測

中間試験を行うにしても本プラントを作るにしても、プロ技術者はまず原案を作った段階で、「このプラントは必ずトラブルを起こす」と考えるものである。次にどこでトラブルを起こす可能性があるか、トラブルを起こしそうな点を網羅し、徹底的に予測し、ピックアップする。そしてトラブルを起こしそうな点については、個別にモデル実験でトラブルの有無を確かめるとか、それができなければトラブルの可能性のある部分は二重安全に改良するとか、あらゆる知恵を絞ってトラブルの可能性のある点を一つ一つ徹底的につぶしてゆく。その結果としてプラントはトラブルなく作動するものであって、原案が良かったからトラブルなく作動するのではない。

・周辺技術の重要性

工業技術というものは必ずと言ってよいほど複合技術である。~多くの技術者は中心技術の検討には極めて熱心であるが、周辺技術の検討を軽く考えることが多い。その結果として周辺技術の欠陥によるトラブルが多く発生する結果になる。最高の技術の結集である原子炉や航空機の事故例を見ても、むしろ周辺技術の欠陥やトラブルによる大きな事故が多い。一台のポンプ、一本のパイプ、一本のボルトが大きな事故に連なる例が多い。~一つの工業技術を仕上げるためには、中心となる技術の周りにある極めて多くの周辺技術を丹念に一つ一つ仕上げる必要がある。一つでも落ちがあるとトラブルを生じ、全体の失敗を招くことになる。

9.確かな思考

・独創的な人とそうでない人では思考のアルゴリズム(方法)が全く異なるのである。~いかに知識を増しても独創的でない人が独創的になることはない。逆にいえば思考の方法を変えれば、独創的でない人も独創的になるということである。進歩のない人も進歩するということになる。~以下に正しく考える方法について述べる。頭が悪くとも考える方法が正しければ必ず立派な結果が得られるのである。

・物真似と独創

よく観察すると、独創力の無い人は物真似が下手である。ちょっと聞くと反対のようであるが本当にそうである。むしろ物真似はいちばん簡単でいちばん確かな独創である。~他の分野のことを真似ることは、自分の分野では独創となる。

・相談

直接関係のある人だけではなく、直接に関係ない人、他の分野の人、老若男女差別することなく、良いことを言った人の話を素直にきくことが大切ある。そして、良いと思ったことは実際に自分の仕事の上で実行して見ることが大切である。~勉強してから相談するのでは遅すぎる。多くの人に相談してから勉強した方が余程独創的な仕事ができるし、効率も良いのである。~良い相談相手を見つけるためには自分を無にしなければならないと思っている。

・成果の拡張

一つの分野で自分が学んだこと、あるいは発見した原理を他の分野へ拡張適用することも独創を生む最も常套的手段の一つである。~自分の研究した一つの成果は、一つの成果として捉えるだけでは大変にもったいないのであって、その成果は是非とも他の分野に拡張適用しなければならない。~逆のことをいえば、一つの研究成果を上げたとき、その成果、あるいはその研究の過程で得た成果を他の分野に適用して、あまり新しい研究や技術に発展しないようであれば、元の研究自体に何らかの欠陥があると考えなければならない。~良い研究は良い研究を呼び、高度の技術は高度の技術を呼ぶものである。

・同一性の発見

何か新しい分野に進出したいとき、または何か新しいテーマを発見したいとき、自分が従来の分野で持っている技術や科学的経験を別の分野の課題に適用できれば、問題は解けたと思ってよい。そして、その分野が今までの分野と異なれば異なる程独創性が発揮できると期待してよい。~たとえ製品が異なろうとも、使用する材料が異なろうとも、ある技術なり、原理なりが同一であれば、異なるものが同じに見えてくる。そうすれば、次々と新しい製品の開発、新しい分野への進出、新しい研究テーマの発見も用意である。

・知識、経験の因数分解

カーバイドの需要は年々減少している。何かカーバイトの製造技術、あるいは製造設備を使って他のものを製造しようと考えてみても、中々良いものが見つからないのである。ところが、カーバイド製造技術というものを一つのものと見ないで、カーバイドを作る各工程に分解し、さらにその工程ごとに含まれている幾つもの技術に分解してみると、それは非常に多くの技術の掛け合わせであることが分かる。~このように因数分解されたそれぞれの技術の利用を考えた方が極めて簡単である。そしてまた、このように一つの技術を因数分解して頭に入れておくと、これらの技術の利用の機会を逃すことがない。

・複合

新しい発想というものも何も無いところから突然生まれることは珍しい。むしろ既存のものの組み合わせを考えることが新しい発想に連なる例が多い。メカトロニクス、ガソリンエンジンと車の融合、医学と電子技術の複合、生物学と化学の複合、これらの複合はやすやすと新しい発想と新しい分野を作り上げてきたのである。

・現象と理由

大学を卒業したときには同じ程度の成績で、同様に見える研究者の卵達も、5年先、10年先にはそれぞれ天と地ほどに違った能力の研究者に育ってゆく。一方が努力を積み、一方が努力を怠ったためではない。一方の研究者は一つの研究を経験する毎に、出会った現象の原因理由を記憶し、一方の研究者は現象を単に現象として記憶してゆくからである。前者は見事に成長し後者はむしろ退化してゆくのである。~経験は単純に年齢に比例する訳でもなく、仕事量に比例する訳でもない。それは、常に物事の理由を追及する心によってのみ積み重ねられてゆくものである。この意味での本当の経験を積むことが科学者の成長には不可欠である。

・単純化

科学者にとって、複雑な現象を単純化して考える才能は重要である。~難しいことを簡単に考えてみる頭の働きが大切である。ここで述べたような単純化が研究のスタートになることが多い。自然科学がそのままの形で取り上げることは難しい。自然現象は適当に単純化したモデルに一旦変換して初めて、科学の題材となるのである。

・分解と結合

自然現象を単純化することと同時に大切なことは、自然現象を分解することである。例えば植物の栽培を研究する場合、光の影響と肥料の影響とに分解すること、化学反応を考える場合、触媒の影響と溶剤の影響に分解すること。あるいは一つの対象をもっともっと多くの簡単な事業に分解することである。

そしてまた大切なことは、一旦分解してそれぞれに検討した結果を再統合することである。その場合、光と肥料の相乗効果が発生するし、触媒と溶剤の相乗効果が発生する。その相乗効果を見逃したのでは本当の自然現象の把握は困難である。このような思考操作はちょうど食物の消化に似ている。タンパク質は一旦アミノ酸に分解しないと消化吸収されないが、アミノ酸として体内に入ったものは再び統合されて初めて肉となり得るのである。

・情報の処理

若い研究者の研究発表を聞くとき、データの表示の仕方を見ただけでその人の能力が判定できる。まず最も悪い例は、データを実験番号順に表示する人、次は実験を幾つかのグループに分けてグループ毎に表示する人、データをグラフで表示する人、データを数式で表示する人。この順番に有能な研究者である。

実験データそのもの、あるいは知識そのもの、情報そのものは無価値であることに気付かなければならない。データ、知識、情報といったものは、これを論理処理して、一つの傾向、結論、予測を生み出して初めて価値を生むのである。

・情報の集め方

前節の事を裏返しに説明すれば、情報を無作為に集めるから処理が困難になる。実験データを安易に集めるから処理が困難になる。もっとも、わざと無作為に集めて処理する方法もあるが、これは予備実験的に行うものであって、本格的には、むしろ何かの仮説が既に頭の中にあって、これを照明するためにデータをとることが正しい。このようにすればデータは自然に仮説の方向で処理されてゆく。それがうまくゆかなければ仮説の修正が行われる。

このように考えると、むしろデータの集め方の上手下手は、その前工程によってきまると思われる。すなわち、仮説を十分に意識しているか、仮説を十分に数多く考えて取捨選択しているか、その仮説を証明するために最も簡単なデータ収集の方法はどうか、このようなことを十分に検討し尽くしているか否かによってデータ収集の上手下手もきまってくる。特別な場合を除いて、このような前操作を行わないで実験や情報収集に着手してはならない。それは骨折り損のくたびれ儲けになる。

・正しさと正確さ

これまで述べたようにデータは正しい結論を導くために取るものである。その手法は先に述べた通りであるが、データがその目的に適合する範囲(結論を正しく導ける範囲)で最も精度の低いのが良い。余分の精度は無駄である。最も悪いのはデータを取るに当たって、仮説の立て方が間違っていたり、データ処理が間違っているのに、データの精度だけが高い場合である。この場合は我々は正確に間違いを起こすことになる。意外にこのような例は多く見受けるのである。正しいということと正確ということは全く別の事である。

・常に考える

独創的な人は一つのことを考える時間が長い。一つのことを連続して考えている訳ではないが、時折思い出しては飽きずに考え続ける人が多い。脳といえども体の一部であるから、体の状態によってその働きも違うは当然のことである。机に向かっているとき、歩いているとき、布団の中にいるとき、運動しているとき、酒を飲んでいるとき、人と話しているとき、本を読んでいるとき、それぞれ脳の働き方も違っている。机に向かっていて思いつかないことも、布団の中で思いつくことがある。本を読んでいるとき思いつかないことも、人と話している間に思いつくことがある。だから一つの状態で考えても分からないからといって諦めることはない。断続的に何度も考えるうちに、脳に記憶されたものが熟成し、また脳がひょっとある状態になったときに良い考えが浮かび上がるときがある。そこまで脳をあらゆる状態で使ってみてこそ、自分の脳を使い切ったことになる。この意味で、独創的な人が物事を飽きずに断続的に考え続けるとは、非常に理にかなっている。独創力は忍耐力だともいえる。一つのことを二年や三年考え続けられないようでは。独創など生まれるものではない。

・切羽詰まりの力

  「火事場の馬鹿力」という諺があるように、脳もまた切羽詰まった状態で意外な力を発揮してくれる。個人的にもそうであるが、集団的にそのようなことがある。会社が倒産しそうなったときに、社員が知恵を出し合って立派な会社に立直った例は実に多い。というよりも優良会社の歴史の中には必ず危機的状態を見つけることができる。~独創力を発揮する人は進んで自分の道を塞いで、自分の知恵を引き出そうとするものである。例えば自分の道を塞ぐ方法としては、自分の見解を公に宣言することがある。一旦このような状態になれば、人は自然と必死になって研究を進め、必死に考えるようになる。そのようなことが自分の脳を一杯に活用する方法である。

・疑いきる

いろんな研究発表を聞く場合、常にそれを疑ってみる必要がある。他人の意見や研究発表をまず信じるところから出発するようでは良い研究は望めない。他人の発表や意見は疑って疑いきれないものだけを受入れる。これが研究者として是非必要な態度である。~また工場の設備を見るにしても、常にこのような批評的な目で見ていると、不合理な背系の工場に入った瞬間に違和感を感じる程になる。さらに一つの設備を見ても、単に設備の構造だけではなく、それを設計した人の思想までも分かるようになる。このように他人の意見、現象、設備など、何を見るにしても聞くにしても、常に批判の目を忘れなければ、次第に真実を見分ける審美眼のようなものが養われてゆくのである。

・概念の拡張

企業の研究所で和解研究者からよく聞くことであるが、「研究はうまく行ったが、製造現場の人が受け入れてくれなかった」とか、「物はうまく作れたが、売り方が悪かっただけ」という話がある。私は「研究」とは、実験が成功して工業的に生産でき、それが販売できて、世間の人が評価してくれ、利益という賞を与えてくれたときに初めて成功したといえるものだと思う。実験の成功は実験の成功であって、研究の成功ではない。研究とは、もっともっと広い意味を持った概念である。大学における研究にしても、データを取って纏めて論文を書くことが研究だと思っている人に良い研究ができる訳がない。研究にはもっと大きな目的があるはずである。研究以外の仕事であっても、あらゆる分野で、良い仕事をする人は必ず自分の仕事の定義を大きい大きい概念で捉えている。このように、仕事の概念を人並み以上に最大限に大きく捉えることによって、精神的張りも生まれるし、頭の使い方も繊細でかつ広く大きくなるものである。

・非凡とは

非凡とは平凡なことを徹底して実行することである。これまで述べてきたことは、一つ一つどれを取っても平凡なことばかりである。しかし、これらを徹底して実行すれば必ず非凡な結果が得られる。非凡な結果を得るには、平凡なことを徹底して実行する以外に方法がない。

10.人間性と精神力

・研究するのは人間

我々が研究する対象は自然現象であるが、研究するのは我々自身、人間である。したがって、研究は我々人間のあらゆることに左右される。体調、情緒、性格、精神状態、周囲の人との関係などは、皆研究に大きな影響を与える。このような点について述べてみたい。

・素直でなければ物は見えない

これまで述べてきたように、研究を進めるための判断は決してやさしいものではない。判断の手掛かりを見つめるためには、他のことを全く忘れて心を空にして考え、心を空にして物事を観察する必要がある。そして、その判断を実行するには大変な勇気を必要とすることも多い。このような時に少しでも雑念がはいると判断は狂い、その実行は不可能になる。雑念を防ぐには、研究者は素直でなければならない。素直さを欠く原因となるのは自分の体面を優先させる心、地位や出世を強く考える心、研究チームより自分を優先させる心、そのようなものが人間の素直さを失わせ、研究の判断を狂わせることになる。~研究とは、それが社会のために役立ち、企業のために役立ち、研究リームの人々の幸福に連なってこそ本当の研究といえる。人間が素直でなければこのような研究はできる訳がない。

・易き道を選ぶな

研究を進める上で、二つの道があり、どちらを選ぶか迷うにことがある。そのようなときは必ず少しでも自分が嫌いだと思う方の道を選べば間違いない。私はこれを実行してきて後悔したことはない。~嫌いな道を選ぶ積極性がなければ、ほんとに正しい道をみつけだすことはできない。

・表現力と説得力

高度の研究をすればする程、他人には理解が難しいのは当然のことである。しかし、研究というものは他人に理解してもらえなければ無価値なものである。~したがって、高度の研究者は高度の表現力を持たねばならない。高度の表現力のない人は高度の研究をしても無意味である。一つの大きな研究を完成しようとすれば、協力者も必要であるし。研究費を出してくれる人も必要である。それを得るには多くの関係者を説得する必要がある。説得力の欠ける人は大きな研究はできないのである。

・無限の責任感

研究を遂行する過程では、自然科学的困難の他にいろんな困難に出会う。このような困難に負けて研究は挫折し失敗すれば、その結果は、自然科学的研究方法のまずさから研究に失敗したのと何ら変わるところがない。したがって研究を維持し、完成し、成功させるには、どのような種類の困難にも負けない使命感と責任感が必要である。その責任範囲は研究を完成、成功させるまで無限である。まず失敗例から述べよう。(省略)

これらのことがあって以来常に、基礎研究、特許出願、製造設備の作成、販売価格の設定まで自分の責任範囲と考えて研究を続けてきた。~自分の研究したものが製造でき、売れて利益が得られたとき、初めて研究は完成する」と話している。

・本当の合理主義

研究を行っていると、いろんな複雑な現象や問題に出くわすことが多い。もちろんその時でも、できるだけ合理的に物事を処理しようと思うが、いつの間にか合理主義を捨てて経験的に現象を追いかける経験主義に傾きかけている自分を発見することがある。このような時、先輩から聞いた次のような話を思い出す。~省略~

我々は日常、自分は合理主義者であると信じているが、生命の危険さえ感じる困難に出会ったとき本当に合理主義に徹し通すことができるだろうか。踏み絵にであっても合理主義を信じ通せる人こそ真の合理主義者である。前述の先輩は病気で危篤状態になり、当時の病院には酸素テント程度しかなかったので、その中に運び込まれた。その時、「この酸素テントの設計は合理的でない。改良の図面を書いてあげるから、紙と鉛筆をもってきなさい」といわれたという。この人はその病院で80歳を前に他界された。私が生涯で出会った研究者中で最も尊敬する人である。将棋や以後も、スポーツも最後は精神力の勝負であるように、研究も最後は精神力の勝負である。

読後感(推薦文)

堤 陽太郎

  平成元年の残暑の強い頃、ある席上で紙尾君が、実は50枚程の原稿を書いたという~果たしてどんな原稿かと思って、せめて表題の案でも考えようかといって、とにかく送ってもらった。表題がついていない原稿を見て私は「これだ!これこそ、私が長年思い続けていた原稿だ。私も加工と思いつつ、糸口の見付からないまま放置していた課題だ」と我が意を得た。私はただ、読者が読んで面白い表題の案でも出せば良いと思い、原稿を見ない時は「蜃気楼と私」とか「魚津の漁火」程度のイメージしか無かったが、どんでもない。彼の研究の生涯の一種の集大成が分かりやすく書いてあり、しかも僅かの引用があるだけで、ほとんど体験をとおした生の姿で表現されているのに感心した。エッセーでは無く論文でもない。今後の若い研究員に対する大いなる警鐘文であると同時に教科書であり、研究の良し悪しのガイドラインとして使用すべきではないかと思われる。今後、私も紙尾君の許可を得て当社の研究所の講演に引用させていただきたいと思っている。

~省略~

大学を出たのは一緒も何年かたつと、伸びる人間と停滞する人間がいることは私も分かっていたが、紙尾君の様に、その理由を分析して一刀両断にしている所は痛快ある。目標を持たずにただ研究室にいるだけで、第三者に研究員、学者としてもてはやされても、人生一生過ごしても成果が得られない事に気が付く人の少ないことも、残念で仕方がないと思えていた折りでもあったので、本文は私にとっても非常に力強い味方を得たという感じで一杯ある。ぜひ、この文章を多くの人々が読んで、自己改革に努めてもらいたいと切望する。機器が発達してきてデータだけはどんどん出てくるが、その解釈なるとさっぱりという事が多く、彼のいう直接観察をぜひ研究員に身につけさせたいと考えている。細かいデータが必要なのは研究の大筋が完成してからでも良いのである。工業社会の研究は、その結果であり、彼があとで述べているように「売ってナンボ」であるべきである。~彼のいう「研究をしない研究の良さ」という信念は非常に面白い。名言である。「成果が世に貢献することの少ないテーマを選ぶなら始めから研究などやらない方が賢明である。研究は努力を評価するものでなく成果が評価されるものである」というくだりもなかなかよい言葉であろう。私自身、ある仕事を3ケ月で完成する必要に迫られてやった経験があるが、正当に取り組めば2~3年はかかる事が分かっていた。~この場合に私の取った手段として、ある段階までデータを一切取らずに目と手の観測で方向を決め、頂上が見えてきたところで、あらためてデータ化した訳で、結果的に3ヵ月で結論が出た。その後20年たった現在も根本データは何も変わっていない。いささか自分の話をさせて貰って恐縮ですが、いずれにしても紙尾君には今後とも更に研究開発をすすめて欲しいと切望している。

おわりに

大学を卒業してから、時折書き残しておいた雑文を最近まとめてみました。大学の同級生で東洋製缶株式会社常務取締役である堤陽太郎君と会う機会があり、その話をしたところ彼が表題を考えてくれるということになり、原稿を送らさせて頂いた。結果として、表題のかわりに過分の感想文を頂くことになりました。

彼は食品包装の分野で世界的な仕事を成しとげた人であり、私が常に手本としてきた畏友であります。その彼から頂いた感想文だけに一層嬉しく、彼の好意に深く感謝しつつ表題のかわりとして彼の感想文を載せさせて頂きました。

また、本文でも述べた通りこの小冊子の内容は、本当に多くの方々のアドバイスやご指導と、研究に御協力いただいた皆様の多大のご支援によって生まれたものであります。皆様方に深く感謝しつつ筆を置くことと致します。

1991年3月21日 紙尾 康作

著者略歴

紙尾 康作 かみお こうさく

1931年 富山県に生まれる

1955年 京都大学工学部燃料化学科卒

1957年 京都大学大学院卒

1957年 日本カーバイド工業(株)入社

1962年 マインツ大学留学

~1964年

1963年 工学博士

1977年 同社魚津研究所長

現在  同社取締役副社長

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森本英樹技術士事務所

森本英樹技術士事務所代表。
長年アルミニウム産業に携わり、2024年に独立開業。
金属加工コンサルティング・研究開発サポート・講演講座活動など積極的に行っている。富山県在住。

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